■■■ 溺 愛 自然の洞窟を利用した部屋は、通気性が悪い。ある意味地面の下にあるのだから当たり前だ。おまけに海も近い。 晴れている日は年中暑い中でも涼しい空気をもたらしてくれるが、雨の日は最悪だ。じめじめと、仕切り代わりにしている布が黴びてしまいそうだ。 黴びる前にこの人が洗うだろうかと思って、シグルドは小さく笑んだ。 ふたりがゆったりと眠れるように入れ替えた、ベッドの上。清潔なシーツの海に、亜麻色の髪が散っている。いつ見ても、心踊る光景だ。 「ぁ……、っ」 覆い被さるように乗り出していた身を引いて、荒い息を吐く少年────ラズロの姿をじっくりと視線で辿っていく。 細い、体だ。大人になりきらないまま固定されてしまった体躯は、少年のいとけなさを端々に残している。 日に焼けていない部分の肌は白い。散々指と口で可愛がったからだろうか。赤みを増した胸先が目に毒だ。 理性が残っているうちは恥ずかしがって隠したがる局部も、今はシグルドの前にさらけ出されている。まだ若さを残したペニスは、とろとろと勢いなく精をこぼしていた。 その奥、指を引き抜いたばかりの窄まりが、寂し気にひくついている。もう女は抱けないだろう。 ────可哀想に。 ふと浮かび上がる感想とは裏腹に、緩む口元は正直だ。 体の時間を止められてから、性的な欲求が薄れたという少年。この年頃にはありがちな、毎夜のように吐き出す行為も必要ない。誰かに引き出されない限り、欲情の火を灯すことのない体。 いつかシグルドの手が失われたときに、抱かれなければ達せない体を持て余すことはないと知って、箍が外れた自覚はあった。 「ラズロ」 快感に浸っていた海色の瞳が、茫洋とこちらを見上げる。 「どうする? 四つん這いになるか?」 普段、シグルドはラズロに対して丁寧な口調を崩さない。最初は軍主として立つ彼への礼儀だったが、今はただ、大切にしたいからだ。 だけどベッドの中では、対等な仲間に対するような、素の口調に戻す。それを繰り返したからか、声色を変えるだけでラズロは瞳を潤ませるようになった。 そして事の最中には、シグルドが少しぞんざいな言葉をかけるだけで、期待に身を震わせる。 本当に、可愛らしい人だ。大事に、大切にしたいのに。 少しだけ、悪い男になってしまいたくなる。 あ……、とラズロは唇を震わせた。自分の望みをきちんと口にしない限り、シグルドは言ったことを実行すると知っているからだ。 「やだ……っ、抱っこ、抱っこがいい」 子供のようにぐずって手を伸ばしてくる少年を、笑みを噛み殺しながらシグルドは抱き起こした。 ラズロは手をつかされて、犬のように後ろから抱かれることを嫌がる。体の負担を考えて最初の頃その体勢ばかり取らせていたのだが、その間にすっかり嫌いになったようだった。シグルドの顔が見られない上に、重みも感じられないまま、快感に翻弄されるのが怖いらしい。 だから彼を抱くときは、背を向けて寝転がった上にのしかかるか、座った膝の上に抱え上げることになる。今日は、正面から抱き付くことをご所望のようだ。 「シグ、シグルド……っ」 足の上に座らせれば、細い腕が縋るように首へ回される。やっとよすがを見つけたかのように、ほう、と安堵の息が肩に掛かる。 力が抜けた瞬間を見計らって、腰を持ち上げた。さきほどまでたっぷり指で慣らした入り口へ切っ先を当てる。 我ながら笑ってしまうくらいいきり立った熱を押し当てられて、細い喉がこくりと鳴った。 「挿れるぞ」 「ぁー……ッ」 とっさに理性が口を塞がせたのか。悲鳴のような喘ぎは、シグルドの肩に押しつけられて小さく消えた。 「ラズロ。声を出してくれていい」 どうせ仲間たちの大半は酒場で宴会をしている。隣室のハーヴェイだってそのくちだ。 今部屋に戻っているのは、自室でくつろぐキカか、自分たちと同じようにしけ込んだ者ばかりだ。 痴情のもつれさえ起こさなければ、誰と誰が付き合おうと自己責任。それが掟だ。とはいえ、身軽に他の島で女を買う者の方が多いだろうが。 聞こえたところで誰も気にしないだろうに、ラズロはいつも声を殺してしまう。今も必死で首を横に振っている。いじらしい限りだった。 「……ァ、っぁ……んっ」 まだ動いてもいないのに、下腹をひくひくと震わせている。自分でシグルドの熱を締め付けて気持ちよくなっているらしい。 「本当に、可愛いな」 湿った吐息ごと耳に吹き込めば、くたりと首に回された手から力が抜けた。 恐れと、期待。相反する感情を揺らめかせた瞳に、人の悪い笑みを浮かべた男の姿が映る。 可愛い姿を堪能したいのも本心だが、いい加減我慢も限界だった。 両手で尻をわしづかみ、軽く持ち上げながら腰を動かす。 「ひっ────」 一度最奥を突いてやると、海色は容易に蕩けた。 入り口付近を切っ先で可愛がってから、油断したところを奥まで突く。 「あ、……ぅぁ、ッア、……っひ、ぃ……っん」 噛み殺しきれない喘ぎが耳に心地いい。 ぽたり、と髪からしたたり落ちた汗が、背中を伝っていく。その感触にさえぞくぞくして、腹が炙られるようだった。 「気持ちいい?」 荒波に揉まれるような風情のラズロに、声を低めて聞く。 体を震わせた少年は、快楽にぬれた瞳をきょとんと、いっそ無垢なまでに瞬かせた。そこに一瞬だけ正気の欠片がよぎったことを、シグルドは見逃さなかった。 「ぁ、に……?」 すぐに理解ができないほど、理性を溶かしているのに。まだ、シグルドにすべてを委ね切れていない。 凶暴な笑みが唇をゆがませたことを、自覚した。 「ラズロ」 つられるように笑みを浮かべた少年に、こみ上げてきた衝動をどうにか飲み下す。 強く強く、この腕で掻き抱いて。誰の目にも触れないように閉じ込めて。────いつか彼を置いていかなければならなくなる前に、無防備にさらされた首を両の手でへし折ってしまえたら、どれほど。 シグルド自身理性で押さえつけている本音が、一瞬のうちに背骨を通り過ぎ、思考を灼いて去って行った。 ひとつ、息を吸って、吐く。 こもった熱気は頭を冷やしてくれはしなかったが、本能の方向を変えることは、できた。 今度は意識して、優しい笑みを形作る。 「もっと、気持ちよくなってくださいね」 ベッドの中では封じている口調に敢えて戻すと、海色が不安げに揺れた。一心に見つめられていることに、満足する。 安心させるように抱き込んでから、ゆっくりと腰を動かした。 とん、とん、と。ラズロが好きで、でもあまりに快感が強いから腰が引ける最奥を、一定の感覚で突いてやる。自分にとっては、もどかしいほどに優しく。 突き上げられるリズムに合わせて、腰が揺れる。 微かに開いたままの口から、とろりと唾液がこぼれた。それすらももったいなくて、舌で舐め取る。 「気持ちいい?」 「……っィ、いぃ……っ、もちぃ……っ」 完全に理性を失った瞳から、ぼろりと大粒の涙が零れた。逃れるようにきつく逸らされた背を支えれば、また、涙を落とす。 シグルドを包み込む内壁が、不規則に痙攣しているのがわかる。 締め付けられて、思わず熱を吐き出した。なお萎えない熱を引いて突き立てれば、ぼろぼろとラズロは涙を流した。 「……ぅど……、っしぐ、ぅどぉ……っ」 もう、上り詰めたまま降りてこられないのだろう。怯えるように彷徨う腕を引き寄せれば、無我夢中でしがみ付いてきた。 溺れる者が、助けを求めるように。 喘ぎながらも、泣きじゃくっている。 ああ、とシグルドは息を吐いた。うっとりした色をまとっていた自覚はあった。 理性という殻を剥ぎ取って。心まで裸にしてやっと、ラズロは全力で自分に縋ってくれる。怖い、と言ってくれる。 恐怖に似た快楽を与えているのは、シグルド自身だというのに。 ────なにもかも、呑み込んでしまう人だから。 元々、感情が表に出づらい性質ではあったのかもしれない。だが孤児の使用人育ちと聞いて、年齢にそぐわず凪いだ精神に納得した。感情自体を鈍化させることで、自分を守ってきたのだろう。 痛々しいほどに、冷静な少年だった。 恋人になって、目一杯甘やかして。だいぶ表情も豊かになってきたけれど。屈託なく、笑うようになったけれど。 身についた習い性か。感情に揺さぶられそうになったら、彼は自然に抑えてしまうのだ。 罰の紋章の呪いを受けて、命を削られて。息を吹き返したら、今度は年を取らなくなってしまった。 運命に殺されるまでずっと、何百年もラズロは生き続けなければいけない。彼の手にあれば、もう犠牲を出さないという──それを知って、手放すことができる人ではなかった──紋章の器として。 泣いて、怒って、どうして自分がと嘆いていいのに。ラズロはただ物わかりのいい子どものように、「悪いことばかりでもなかったから」と静かに笑うのだ。 だからシグルドは、ラズロが感情のままに泣くと安心する。恐れを見せてくれるのが嬉しいと思う。 自分をコントロールできない状況を怖がると知っていて、快楽でぐちゃぐちゃにして泣かせているのだから、健全ではない、のだろうが。 それでもいつか、素直に負の感情もぶつけてくれればいいと思う。 結局、欲望を綺麗事で糊塗しているだけかもしれない。自嘲しながら、開き直る己もいる。 シグルドは自分が決して善人ではないことを知っている。嫌だ嫌だと思いながらも、汚れ仕事をこなせる軍人だったのだ。そして今は、義賊とはいえ海賊を天職にしている。 ラズロならきっと、本当の意味で優しくて、彼を幸せにしてくれる相手だって見つけられただろう。付け入る隙を見せたばかりに、こんな男に捕まってしまった。 でももう、逃がしてはやれない。体も心も作り替えて、いつか。 そう、いつか。 一度は置いていってしまうこの人が、再び腕の中に落ちてくる日を待つのだ。 この、母なる海で。 シグルドは口の端だけで笑って、達しすぎてくったりしたラズロを抱き寄せた。まぶたが落ちかけている彼には悪いが、まだシグルドは満足していない。 状況に不釣り合いな、触れるだけのキスをひとつ。 「ラズロ、もうちょっと付き合ってくれ」 優しくささやくと、もう訳もわかっていなさそうな彼は微かに笑った。都合よく、それを了承と解釈する。 あとはただ、本能のままに貪るだけ。 *** 明くる日、数日ぶりに海賊仕事に出た。 せわしなく働く下っ端を尻目に、シグルドとハーヴェイは甲板の上で水平線を眺めている。 口火を切ったのはハーヴェイだった。 「……おい、シグルド」 「なんだ」 「俺も、ぶっちゃけこういうことに首突っ込むの嫌なんだけどよ」 直情径行な彼にしては珍しく、言いづらそうに後ろ頭を掻いている。 なんとなく話題の見当はついていたが、気を遣う必要もない相手だ。冷たく言い放つ。 「嫌なら言うな」 「放っておけないから言ってんだろうが! あんまりラズロ泣かせるなっての!」 わかっていても、ぴくりと片眉が上がる。 今朝は、腕の中で安らいだように眠る恋人を存分に眺めてから部屋を出た。せっかくいい気分のまま来たのに、台無しだ。 「聞いてたのか?」 「んな趣味ねぇよ! 馬鹿か!」 「馬鹿に馬鹿と言われたくない」 「はァ!? 俺が馬鹿ならテメェは鬼畜だろ?! 泣きはらした顔で起きてくるあいつ見せられるこっちの身にもなれってんだ!」 喚くハーヴェイは、口にはしないがラズロを弟のように思っている。腹立たしいことに。本当に、腹立たしいことに。 ラズロが遠慮なく構われることを喜んでいるから、結局なにも言えないのがまた業腹だった。 「気づかせてはいないだろうな」 「するかよ。気を遣わせるだけじゃねぇか。……せめてもうちょっと加減してやれよ」 「……難しいな」 ラズロの泣き顔を見ると、安心すると同時に興奮するんだ。 などと、正直に言ったりはしないが。想像の一片たりともさせたくはないので。 だがさすがに、相棒とも認めている相手だ。こちらの思考をなんとなく察したのだろう、ハーヴェイがあからさまに嫌そうな顔をした。 そしてひとつ、息を吐く。 「俺はな、おまえは気に食わねぇところもあるけど、背中を預けられる奴だと思ってるんだよ」 「どうした、悪いものでも食べたのか」 「腹黒い割に抜けてるけどな」 「……喧嘩を売ってるなら買うが」 「その顔、ラズロにも見せてやりたいぜ」 余裕を取り戻したのか、ハーヴェイがにやにやと笑う。 「んで、ラズロは可愛い子分なわけだ」 「いつ誰がおまえの子分になったんだ」 「おまえの部下じゃないんだから、俺の子分だろ」 ハーヴェイが胸を張る。 ラズロを部下扱いしたくないのは事実なので、シグルドはぐっと反論を呑み込んだ。彼は特異な立場にいるが、キカ直属というわけでもないのである。 「……百歩譲ってそれは認めるにしても、可愛いと言うのはやめろ」 「いやおまえに比べたらラズロは千倍可愛いから」 「比較対象になること自体理解できないが、そもそもあの人を可愛いと思うのは俺だけでいい」 「心が狭いにも程があるだろ」 呆れたように、ハーヴェイが息を吐いた。 もう聞き飽きた台詞なので、シグルドにはなんの痛痒もない。当然、それも相手は理解している。 「つーかよ、ラズロにしろおまえにしろ、そういう意味で惚れる理由はさっぱり理解できねぇけどな」 「してもらっても困る」 「そりゃそうだ。ま、理解はできないが、おまえらがくっついて幸せそうにしてるのは悪くない」 そしてふと、ハーヴェイは真顔になった。 「────でもたまに、おまえに捕まったラズロが可哀想になる」 シグルドは息を吐いた。感嘆と呆れを混ぜたため息だった。 「おまえは本当に、人を見る目だけはあるな」 「……それ、褒めてねえだろ」 「褒めてる。一応」 自分が怒り出すと思っていたのだろう。胡乱な目で見てくるハーヴェイに、笑ってみせる。 「俺も、俺なんかに捕まったあの人を、哀れに思うことがあるからな」 目を伏せたシグルドに、ハーヴェイは大きなため息をついた。 「とか言って、手放すつもりはないんだろ?」 「当たり前だ」 「だったら殊勝なふりなんてしてんなよ、らしくねぇ」 昔から直情的で、自分に素直に生きていた彼らしい一言だった。 「そうだな。……取り敢えず、最後に俺のところに帰ってきてもらえれば俺の勝ちだ」 ハーヴェイに言われなくとも、シグルドのやることは変わらない。欲しいものを手に入れるために努力するのみだ。 この自分を、ラズロは好いてくれているのだから。 どこか吹っ切れた気持ちで、シグルドは笑みを唇に乗せた。晴れ渡った海のように清々しい気分だった。 「誰と勝負してんだよ。……つか、やっぱあいつが可哀想になってきた」 だからハーヴェイの余計な一言も、聞き流してやったのだった。 [#] 幻水108題 053. この命尽きても || text.htm || |